My Generation (自転車と本、あるいは音楽)

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「南海ホークスがあったころ」野球ファンとパ・リーグの文化史

単行本で出たときに気になっていた本が文庫化されたので早速読んでみた。

この本は副題にも在るとおり二つの柱から構成されており、一つは「南海ホークス」という球団を軸にした、プロ野球・特にパ・リーグの変遷を応援という切り口から語っている。わたしは近鉄ファンだったので南海ホークスには特に思い入れはないのであるが、同じパ・リーグの不人気球団という点では同郷意識のようなものはあった。パの応援スタイルの特色として観客が少なかったこともあって「ヤジ」が取り上げられているが、確かに初めて近鉄の試合を藤井寺球場に見に行った際にも、ヤジが飛びかっていてとても印象に残っている。*1囃しというべきものもあって、例えば敵のピッチャーを打ちこんで投手交代させた時は、「サヨナラ、サヨナラ、(投手名)、サヨナラ、サヨナラ、(投手名)、近鉄電車で早よ帰れ!」*2などと叫んだものである。*3今は日ハムが北海道に行き、楽天が仙台に行き、地域的な偏りは解消したし、ダルビッシュや田中、涌井などのスター選手も出てきて、マスコミも以前のようなセ一辺倒の報道ではなくなったし、観客動員もそれなりの数字が出ているけど、70年代ー80年代のパは本当に観客もメディアへの露出も少なかった。
もう一つの柱はホークスの本拠地であった大阪球場が都市の発展にどのような役割を演じてきたかという都市論的なアプローチからの論述である。大阪の都心、盛り場というとキタの梅田、ミナミの難波になる訳だが、大阪球場はその難波駅にほぼ隣接しておりアクセスは抜群によかったし、都心のどまん中に球場があったというのは稀有な例だったであろう。社会人になった初めての年に帰りの南海電車の車窓から大阪球場でゲームをやっていたのを何度か見た記憶があるが、今思えば球場まで見に行けばよかった。
経営母体の三転や本拠地移転という試練は取り分けオールドファンには辛かったに違いない。ただホークスというチームは存続しており、過去の栄光とは違った形ではあるが、九州に根をおろし現在進行形でパを牽引する球団となっている。応援するチームを失ってしまった近鉄ファンからすると羨望を禁じ得ない。(今のバファローズはどうしても応援できない)羨ましい限りである。

*1:藤井寺球場はトランペット等の鳴り物の応援は禁止だったのでとりわけヤジがよく通った。

*2:本拠地が大阪ドームに変わってからは「環状線で早よ帰れ!」となった。

*3:むろん自軍の投手が打たれたら逆にやられる。「阪急(南海)電車で早よ帰れ!」